マイタウンmini 2021年11月 第17号

落葉のシャワー

撮影日:11月5日 場所:札幌市

イチョウの落葉が黄色い絨毯(じゅうたん)のように広がる。子供たちが、集めた葉を掛け声と共に空に向かって一斉に投げ上げた。
まるで落葉のシャワーを浴びているような光景の中に歓声が響いた。

写真 狩野隆


札幌市北区 北大南門 紅葉

撮影日 10月28日


“札幌っこ・ゆきんこの東京日記”
『高輪ゲートウェイ駅』


昨年3月、山手線に49年ぶりに開業した新駅です。山手線はこれで30駅。ホームに降りると、明るくてキレイ!天井が吹き抜けになっていて光が入る構造になっています。改札階は2階で、白く大きな天井で開放的。よく見ると鉄骨に木材がはめ込まれ、床が木目調なので、建物が木造なのかな?と思うくらい温かな空間です。設計者は、新国立競技場も手掛けた隈研吾さん。木を使うのが得意な方なのでしょうか。他の作品も見てみたいと思いました。ゆっくり空間を楽しみたい方は、3階にスタバがあるので是非!
 外に出ると、駅周辺はまだ何もありません!どおりで駅に人が少ないな~と思った!(笑) 浅草線泉岳寺駅まで歩いたのですが、途中に工事の看板がありましたが、令和9年度にかけて住宅、店舗、子育て支援施設等の建設が予定され、泉岳寺駅ともつながるようです。


《今月の城55 富山県富山市》 富山城


“加賀百万石、前田氏の分家の富山藩の居城となる。神通川を守りとした後(うしろ)堅固(けんご)の梯(てい)郭式(かくしき)の平城(ひらじろ)”
天文12年(1543)頃、越中西部の守護代神保(じんぼ)長職(ながもと)が築いたとされる。戦国時代は上杉氏、一向一揆勢の争奪戦に織田信長が加わり、信長の家臣佐々(さっさ)成(なり)政(まさ)が富山城を得た。江戸時代には加賀藩前田家の分家が独立して富山藩を立藩し、富山城を居城として改修して、幕末まで存続した。天守は彦根城や犬山城を参考に1954年建造された。


カノンくん(ウェスティ 12歳 オス)


何歳になっても子犬顔なのにお手さえもしない頑固者のテリアですが、とても社交的で近所のおじいさんと幼稚園の子供たちに人気です。パッヘルベルのカノンのように永遠に周りに幸せをふりまいてね。         東区 中村


─ 余話 ─ 一日3食


室町時代中期以降(約550年前)、京都は商業や手工業で賑わい、町衆は活性化の担い手になり、洛中に商品が集まるようになった●琵琶湖の鮒(ふな)、淀川の鯉、瀬戸内の鯛(たい)、大和の瓜などの市(いち)が立ち、行商人が行き交う。郊外からは女性の物売り大原女(おはらめ)、桂女(かつらめ)が往来する。男衆は酒を好み洛内の酒造店は342軒に及んだ。中でも五条坊門の柳酒屋、五条烏丸の梅酒屋が有名。上層階級の汁講(しるこう)に椎茸汁、竹の子汁、とろろ汁、豆腐汁、鯨汁、雉汁など旬の食材が。調味には味噌、醤油、鰹だしのほか、輸入の砂糖で料理の幅が広がった。味噌は大豆が原料。戦乱の時代は軍馬の食糧だったので、代用として米糠を加えた糂太(じんた)味噌を作った。これが二重丸のスグレモノ●米糠は粗タンパク質、ビタミン類、カルシュウムなどミネラルが豊富で、疲れがとれる活力源になった。人々の食生活も変化し、鯛の刺身、鮎のすし、鮒のなます等々。鳥獣の肉は仏教の禁律があったはずだが、よく食したようだ。雉、山鳥、鴈(がん)、鹿、猪、狸、兎、熊…。力仕事の農民は間食に餅などを食べていたようだが、1日3食の習慣が広がった●鎌倉・頼朝の時代、武士たちの食事は朝夕2回、1日5合の玄米を主食としていた、と記録にある。体格、寿命に劣っていた日本人。信長が「幸若舞」で詩う「人間(じんかん)五十年、下天の内を…」には、人々に栄養が行き届かない食生活にあったようだ。 (S)


恥ずかしがり屋さん

撮影日 10月17日 場所 札幌市豊平区

今年初見のコマドリさんです。日中は笹の茂みに隠れていて、なかなか姿を見せてくれません。「ヒンカラララー」とさえずり、馬のいななきに似ているので駒鳥(こまどり)と名づけられました。張りのある声は日本三鳴鳥にあげられています。道内出身で「ソーラン渡り鳥」を歌った「こまどり姉妹」が目に浮かんできました。

写真 佐川 健次


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