マイタウンmini 2021年9月 第15号

美瑛の丘に秋

撮影日:9月4日 場所:美瑛町

「四季彩の丘」の広大な花畑では、マリーゴールド、ペチュニア、サルビア、ケイトウなど色鮮やかな花が咲き誇る。
正面には十勝岳連峰、緩やかなうねりの丘の風景が広がる。赤トンボも飛びかう中で秋の気配を感じる時間だった。

写真 狩野隆


秋田県 にかほ市 象潟(きさかた)


松尾芭蕉が観た夕陽か 撮影日 8月28日


“札幌っこ・ゆきんこの東京日記”
『ブルーインパルス』


東京オリンピック・パラリンピックが閉幕しました。マラソンで、札幌の見知った場所がテレビに映ると懐かしくて嬉しくて、帰りたくなっちゃいました。
ミーハーな私はこんな大きな世界的なイベントを身近に感じられることに密かに大興奮!だったのですが、コロナの心配が高まる中では、あからさまに出来ない閉塞感もありました。都内の競技会場は海側に集中していたので、私が住んでる板橋区も勤務先の北区も内陸側なので全く接点なし。かろうじて街頭の旗とポスターくらいです。そんな中で、気持ちをパッと晴らしてくれたのが、ブルーインパルスの飛行でした。轟音を引き連れてピッタリ揃った隊列とカラー噴射!かっこよかった~!ほんの数秒で見えなくなりましたが、励まされた気持ちがしました。昔、丘珠自衛隊の航空ショーで見た事を思い出して、またまた札幌に帰りたくなっちゃいました。(笑)


《今月の城53 愛知県豊橋市》 吉田城


“今川氏親が築いた今橋城が前身。今川が衰えると争奪戦の後、徳川の城となり、酒井忠次が城主に。豊川を背にした「後堅固」の梯郭式の縄張り”
永正2年(1505)に今川氏親が牧野古白に命じて築いた今橋城が前身とされる。その後周辺勢力による争奪戦がくり返され、城主はしばしば入れ替わったが、氏親の子の義元の代には今川の城となり、吉田城と呼ばれた。
本丸は三重櫓で、櫓入口の扉に鉄版が張られていた。昭和29年(1954)模擬再建された。


でこくん(フレンチブルドッグ 2歳 オス)


先代のワンコを見送って、もう飼わないと言う両親のボケ防止にと子供達が突然連れてきた凸(でこ)くん ボケ防止どころか元気一杯 いたずらっ子で毎日が運動会 ボケてる暇はありません。まだまだ元気でいなくては。 
東区 今井


─ 余話 ─ 馬の思い出


「余話」に三冠馬の闘いを書いてから、馬に興味をもつようになった。また、平安、鎌倉時代の本を読むにつれ、騎馬軍団が脳裏を駆け巡る。一騎は兵卒5,6人の勢力があって、戦場の闘将こそ馬だった。
一の谷の懸崖を駆け下り、平家壊滅への先駆けは義経。桶狭間の信長、武田軍に敗れた時の家康も愛馬と共にいた●筆者が少年の頃、10戸余りの集落に2頭の馬がいて7歳になるタロがいた。頭や躰に触れてもじっとして大人しい。子どもたちは利かん気の若駒よりタロが好きだった。そのタロが大変なことになった。草を食むうち、斜面下の田に転落したのだ。穫り入れ後の稲田はぬかるむ。腹まで埋まり足をばたつかせるタロ。大人たちが何とかしようにも、かなわぬ重い馬体。板を敷いて取り巻くも、人もぬかるむ始末。何時間経っただろう。陽が沈みかけてきた。子らは途方に暮れながら「タロ頑張れ!」と何度も口にしながら家路に向かった。タロが子たちに目を向けた気がした。やさしかったタロ。どれくらい経っただろう。その夜遅く各戸に肉が届けられた。畜肉は部落の人たちにおすそ分けする習わしだった。ことを知る子たちは、口に出来なかったはずだ●JR小倉駅の近くに小倉城がある。敷地に軍馬忠霊塔と生馬神之塔が立ち並ぶ。忠霊塔は日露戦争以降犠牲になった数十万頭の軍馬を慰霊するために建立した。戦場で傷つき置き去りにされ、首をもたげて進軍を振り返る座姿像。新聞を見て、村にいた頃のタロ思い出した。(S)


私も入りたいな~

撮影日 8月19日 場所 札幌市

今夏は本当に暑かったですね。野鳥も夏休みをとっていたのでしょう。行きつけの公園でも、あまり姿を見かけませんでした。久し振りに出あったシジュウカラが行水をしているところに、スズメがやって来て「水浴び楽しそうだね」と話しかけていましたよ。顔つきやクチバシをながめると、ともに幼鳥と思われます。これから成長するにつれ、公園の主役になるでしょう。応援しています。

写真 佐川 健次


世界遺産 北の縄文

道内初! 世界文化遺産

道内2カ所目の世界遺産、初の「文化遺産」決定を祝う緊急写真グラフ。北東北を含む17の遺跡群のうち、道内の縄文遺跡の魅力に迫る。
北海道新聞社編
定価1,430円


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    ももちゃん
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